日別アーカイブ: 2026年3月28日

満員の通勤電車1

上野芝から、弁天町駅まで

満員。

もちろん途中の駅での

停車もあれば、乗り換えもある。

そのような数十分、

人と人との間で、倒れないように踏ん張ったり

人が多すぎて倒れないことも

でも油断は禁物

グラっと来て、ひっくり返ることも

いつ頃からか

昇降口のドアに張り付くことを覚えて

窓に張り付いたまま脱力していられました。

途中の停車駅では、一旦ホームに出る。

そして、最後に乗車すればよかった。

うっかりしていると、「これ以上は乗れません」と

取り残されることも有った。

1本か2本早めの電車だと、ひと駅ふた駅取り残されても大丈夫。

駅から次の駅まで、数分間じっと外を眺めているだけ。

いつ頃からか、踏切待ちをしている車のナンバーを読み取る遊びを始めた。

踏切毎に、車が何台、オートバイが何台、自転車が何台、人が何人と素早く記憶する遊びを始めた。

かなり、目がキョロキョロしていて、変な顔をしてたと思います。

でもまぁ。

満員電車なので、私の顔を観る人は居ない。

線路沿いに見える駐車場にどの車種が何台と数えてみたり。

そのうち、目を鍛え始めました。

(これをすることで、健康被害が出るか出ないか、未だに判らないのですが)

心の中で、目に映る「流れる景色」の中でラジコンヒコーキを飛ばし始めました。

手前の駐車場で一回旋回、

次の高層マンションを飛び越えて、

超低空で畑の畝と畝の間を突っ切って、

やや上昇気味に、二階建ての家屋を一周

神社の森の木を、縫うようにヒコーキを飛ばして、

鳥居で、∞を描いて、

学校の校庭で螺旋に一周旋回して…。

数分そんなイメージを、目に映る景色に重ねて、

時間を潰しました。

時々見えてくる駐車場

そこに置いてある自動車のナンバープレートを

何台まで読み取れるか。

昨日は3代まで読めた駐車場。

今日は何台読み取れるか。

16歳から17歳の頃所属していた硬式テニス部では

相手のスイングと

ラケットとボールのインパクトの瞬間を

神経を集中して読み取る事をやってました。

相手が打ち返してくるボールの性質を

インパクトの瞬間を読み取って

考えること無く、理解するより早く、

無心で感じて、反応する。

まぁ、3年間、とうとう出来なかったんですけど。

社会人になってから

満員電車で

目を鍛えてる。

そんな時代が、私には有りました。

快速にのったり

普通にのったり

三国ヶ丘で乗り換えるか、堺市駅で乗り換えて

天王寺で、阪和線から、環状線に乗り換える。

環状線で、弁天町駅に降りると

当時は、一階にマクドナルドが有って

朝食は、このマクドナルドで朝マックか、天王寺駅で

うどん屋さんか、喫茶店でモーニング

どちらがすいているか見極めるのを間違えると

思わぬ時間を食ってしまうので、速やかに見極めて判断する。

時々不意に、混雑してる時は、

コンビニか、早朝から店を開けているスーパーマーケットでパンと牛乳。

天王寺駅で同じ職場の人と出くわすことはまずなかったけど、

流石に弁天町駅付近だと、どこでも、誰かと出会ってしまう。

朝マックをトレイに載せて、席を探せば、ちらほら見知った顔がいて。

そのような通勤をしていた時期が有りました。

阪神・淡路大震災を経験した後でも有り、

帰宅では、自分のアパートに直行しない日もありました。

幾つかの近隣の駅まで、勤務先から歩いてみたり

途中下車して、駅の周囲を視察しに歩いてみたり

途中から、通勤定期を使わず、自腹で別ルートで帰宅したり。

数駅ぶん、あるいて、まちなみを目に焼き付けようとしたり。

橋を歩いてみたり、自分の脚力を見極めようとしてみたり。

休日も、出来る限り、あちこち出かけてみたり。

借りていたアパートがJR上野芝駅の近所だったので

半径10km圏内は生活圏だったことも有って

徒歩や自転車ででもチョコチョコ探検していました。

仁徳天皇陵耳原中稜や上石津ミンザイ古墳(履中天皇陵)

いたすけ古墳、孫太夫山古墳、大仙古墳

JR百舌鳥駅

いつだったか、近所の中華屋三でラーメンを食べてきた帰りに

アパート近くの高台から、はるか遠くにPLの花火大会が見えたことも

街はどんどん様変わりしていて

工場が消えて、高層マンションになったり、

バッティングセンターとゲームセンターと、

パチンコ屋さんが有った場所が

飲食店のある商業エリアに様変わりして行ったり

その変化は、未だとどまること無く変化を続けている様子

GoogleMAPで、そのあたりを眺めても、

以前とは、景色が随分ちがって、

記憶の中の建物、記憶の中の道路

以前の佇まいは

ほとんど残っていない感じがします。

そういえば

あの頃

JR百舌鳥駅から南に向かって歩いて次の踏切の道路を

西に向かう道路に小さな本屋さんが有った。

そうおもって、GoogleMAPでみると、今もある様子。

そしてその道は本屋さんのところで2本に分かれていて

2本に別れる三角地帯にコンビニのような店構えの

お店が有ったのだけど、そこは、今は駐車場。

左側の堺かつらぎ線を進むと、

左手に松が生えた川岸のようなミンザイ古墳の堀が有って

更に進むと、また二股に分かれていて、

その三角の場所に、感じ良いちさなレストランがあったっけ。

お店に入ったことはないのですけど、

小さいけど、存在感のある絵に描いたような、

いい感じのお店でした。

初夏に良い感じで、春だと、この付近の大仙公園には

桜の木も多くて、公園でくつろぐ人も多かったかな。

そうだ、

梅の季節に

訪れた場所は何処だったのだろう。

あの頃は、

EPSONがCMで「ド、綺麗」と言うフレーズを使っていた頃で。

その頃持っていたデジタルカメラは、

画素数は大したことはなかったけど、

梅の花を上手に撮影出来た場所。

「荒山公園(梅林)」この辺、記憶の中の地形に似ている。

多分ここだと思う。

カメラ片手に、浜寺公園。

沢山の花が有ったっけ。

同じように、住之江公園や住吉公園、住吉大社にも

仕事関連の、前泊で、

お世話に成ったのは、YMCA

六甲山の山頂付近にあったと思う。